「憐れみ深い神と共にいるから」  02−02−09
                  ルカ6:27〜36

 <敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を
言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、誰にでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から
取り返そうとしてはならない。>
 この言葉は、主イエスのまなざしを向けていただいていないの
なら、とうてい受け入れられない言葉かもしれません。
しかし私たちは、この言葉が人間にも世界にも必要な言葉であり、
ここに人が真に生きていく道があるとわかるのです。
 M.L.キング牧師の「憎しみは破壊と分裂をもたらす。しかし愛は
創造し建設し作り変える。憎しみは絶対に敵を除くことはできない。
しかし愛は敵を友に変える唯一の力である」との言葉にも、うなずく
のです。

 それでも、この事を自分の事として受け止めていくのは、簡単では
ありません。「おっしゃる事はわかります。しかし無理です」と言う
しかできない自分に出会うのです。だからこそ、私たちは祈り、
神に向き合うことが必要です。

 「神は悪人にも情け深い。憐れみ深い」とおっしゃいます。
その悪人とは、自分の敵だけのことではないはずです。
私たち自身が罪人であり神の敵でありました(ローマの手紙5:6〜)。
 神と向き合う時に、私たち自身が神の憐れみを受けたことに気付か
されます。その時に、「敵を愛せない」との思いは崩れ始めます。
主の憐れみ深さが、敵意を変え始めてくれます。
 しかも、私たちはその神と共に生きる者とされています。
一人で敵を愛するのではないのです。主のまなざしには「私が共に
いて支え、力を与えるから一緒に愛する者として生きよう」との決意が
こもっているのです。
 
共におられる主によって、私たちは変えられて行きます。
主のゆえに、耐える力や愛する力が生み出されます。
たとえ、わずかずつであったとしても、変わらないはずがない
と信じて進むのです。